ハンドボール男子日本代表は、開催国として8大会ぶりに東京五輪に出場する。
大会は延期となったが、そこで中心選手として活躍を期待されるのが、部井久アダム勇樹だ。
【厳選写真】石川祐希、バレー世界最高峰・イタリアリーグで戦う姿。
2017年高校3年時、史上初めて高校生でハンドボール男子日本代表入り。代表デビュー戦となった同年7月の日韓定期戦で積極的なシュートを連発し、スタンドを沸かせた。
高校卒業後は世界で戦えるプレーヤーになるため、中央大学に在籍しながら、ハンドボール世界最強リーグと言われるフランス1部のセッソン・レンヌと契約し、2018年7月にヨーロッパへ渡った。昨年からは同チームの4部相当のN2リーグでプレーし、直近ではフランス2部のサラン・ロワレでプレーしている。
高校卒業後、欧州への移籍を希望。部井久がハンドボールを始めたきっかけは小学5年生のとき。「福岡県タレント発掘事業」で才能を見出され、中学から本格的に競技を始めた。その後、めきめき頭角を現し、高校2年時にはアジア・ユース選手権準優勝に貢献。3年時には全国高校総体8強入りし、フル代表まで登りつめた。
身長195cmから繰り出す豪快なシュートや身体能力の高さは大きな武器だ。高校卒業時にはその才能と能力が評価され、多くの大学から声がかかった。
現在、部井久が在籍する中央大ハンドボール部監督・実方智も部井久のポテンシャルを感じた1人だった。
「部井久本人は当初、高校卒業後は大学に行かずに、ヨーロッパのチームに行くと言っていたようで、博多高の林圭介監督をかなり悩ませていましたね。その時に林さんから相談がありまして、なんとか大学に在籍しながらヨーロッパでプレーすることはできないものか、と」
そんな時、実方の頭に真っ先に思い浮かんだのが、当時、中央大に在籍していたバレーボール男子日本代表のエース石川祐希の海外挑戦だった。
大学1年でイタリアへ渡った石川祐希。石川の海外挑戦も大学1年から始まった。バレー世界最高峰リーグ・セリエAの名門、パッラヴォーロ・モデナからオファーが届き、3カ月間留学している。当時は大学生で海外に行くという前例はなかったが、それでもまず行くことが大事だと、監督やスタッフ、大学はモデナからのオファーに理解を示し、石川をサポートした。それは石川のみならず、他の選手や、男子バレー全体のレベルアップにつながる意義があると考えたからだ。
大学生の石川は出場機会こそ恵まれなかったものの、セリエAのトップ4に入る強豪クラブで、ブラジル代表のブルーノ・レゼンデら海外のスーパースターたちと共に日々を過ごすなかで、世界基準で戦うことの大切さを痛感した。
さらに、大学3、4年時には短期派遣でセリエAのトップバレー・ラティーナでプレー。高さやパワー、スピードなど、より優れる選手やチームと対峙し、勝負することで、自身のプレーに求めるもの、意識や目標もさらに高いところに設定された。当時からすでに代表の中心選手としてプレーしていた石川は、代表が強くなるためには、海外でプレーをして「個」のレベルアップをすることが不可欠だと悟った。高いレベルで感覚を磨く大切さも知った。
「海外のトップチームでプレーしたい」
それを目指した結果が、後のVリーグを経由せずにプロになるという異例の決断へとつながった。
ハンド界期待の部井久アダム勇樹。石川祐希に倣う欧州移籍と急成長。
バレーボールニュース引用元:Number Web

