2度の五輪、東日本大震災で感じた“絆”でピンチ乗り越える――元バレーボール日本代表の成田郁久美さん

引用元:スポーツ報知
2度の五輪、東日本大震災で感じた“絆”でピンチ乗り越える――元バレーボール日本代表の成田郁久美さん

 女子バレーボールで1996年アトランタ、2004年アテネ五輪に出場した成田郁久美さん(44、旧姓・大懸)=北広島市在住=は現在も、道内小・中・高校生らを相手にバレーボールの指導、普及に活躍している。現役だった2011年3月11日に発生した東日本大震災の際は、被災者へのボランティア活動で奮闘。道内の子供たちへ新型コロナウイルスを“全員アタック”で克服するよう、エールを送った。(取材・構成=小林 聖孝)

 私も6歳の男の子と3歳の女の子を持つ母親だけに、新型コロナウイルスの感染拡大や臨時休校、自宅待機の長期化など、不安な日々を過ごしています。夫(護さん)が営む飲食店も、お客さんが落ち込んでいますが、私たちは夫婦とも元バレーボール選手。競技を通して培った「負けじ魂」で乗り切ろうと思っています。

 影響で、予定していた2、3月のバレーボール教室は全てキャンセル。週に2回ほど続けてきた近隣小、中学生の指導も休止となりました。子供たちもつらい日々を送っていると思いますが、またみんなでボールを追える日を信じ、気持ちを一つに、コロナウイルスに立ち向かってほしいと思います。

 私は現役時代、2度の五輪を経験しました。最初は1996年のアトランタ五輪。当時は20歳で最年少メンバーでした。しかし、次のシドニー大会は最終予選で敗退。日本の“お家芸”といわれた女子バレーボールで初めて五輪出場権を失う屈辱を味わいました。責任、プレッシャーの大きさに悩み、故障も続いたことから「これ以上無理」と01年に引退しました。

 03年の結婚後、数チームから現役復帰のお誘いをいただきました。最初は悩みましたが、夫や友人たちから「今しかできないチャンス。バレーが好きならやるべき」と後押してもらい復帰を決意。04年アテネ五輪の最終予選から日本代表にも戻り、2度目の五輪出場がかないました。皆さんも、お互い励まし合ってこのピンチを乗り切ってほしい。

 現役最後のシーズンとなった2011年3月11日に、東日本大震災が発生。当時はパイオニア(山形)に所属しており、未曾有の被害を受けた東北の惨状に、大きな衝撃を受けました。震災後はチームで避難所を訪ねて体操指導をしたり、被災地の学校チームに用具を届けたりとボランティア活動を経験。現役引退後も、バレーを通した社会貢献の思いを持ち続けてきました。

 感染拡大の収束はまだ見えませんが、バレーボールの試合や練習同様、絆を保ち続けてほしい。私も、みんなとまた一緒にボールを追う日を心待ちにしています。(バレーボール女子元五輪代表)

 ◆成田 郁久美(なりた・いくみ) 1976年1月1日、旭川市生まれ。44歳。小学4年から旭川神居ジュニアでバレーを始め、6年で全国制覇。旭川神居中で全国中学8強、旭川実高2年時に全国総体準優勝。五輪は96年アトランタ(9位)、04年アテネ(5位)出場。97年度の世界ベスト6、アジアベストプレーヤーに選出。98年世界選手権、99年W杯代表。01年の引退までエース、04年に復帰後はリベロでも活躍。家族は元バレーボール選手の夫・護さん(45)と1男1女。身長173センチ。

報知新聞社

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