中田久美「あの審判の顔は一生忘れない」ソウル五輪女子バレー準決勝、金どころか銅も奪った突然の笛…当時の記者が振り返る

引用元:スポーツ報知
中田久美「あの審判の顔は一生忘れない」ソウル五輪女子バレー準決勝、金どころか銅も奪った突然の笛…当時の記者が振り返る

 「あの審判の顔は一生忘れない」

 1988年ソウル五輪で、女子バレー全日本の司令塔・中田久美が発した言葉を鮮明に覚えている。9月27日、ペルーとの準決勝はフルセットの大熱戦に。最終セットは日本が優位に進めたが、終盤の12―9、13―12の場面で丸山由美が仕掛けたタッチ攻撃が、ともにホールディングの反則を取られ、追いつかれて敗れた。

【写真】89年のW杯の中国戦でトスアタックを見せる中田久美

 セッター中田と丸山のコンビで、相手を振り回すのに効果的だったタッチ攻撃は、ボールを手のひらに収めるようにし、プッシュするプレー。ボールの動きを止めるホールディングかどうかの判断は審判によって違った。ただ、この試合第4セットまで、丸山のタッチ攻撃で反則の笛は吹かれていなかった。それが、大事な局面でいきなりの笛。日本は明らかに戸惑い、立ち直れず、押し切られた。

 以前、私が最も取材しにくかったのは、中田だった。特に敗戦後は口を開かない時があった。そのため、時間があれば、とにかく話しかけた。自分の考えと合わない質問は「それは違います」ときっぱり否定されたりもしたが、ソウル五輪の頃には、一定の信頼関係が築けたと感じていた。

 だが、ペルー戦後は何とかコメントを取ろうとしても、さすがに無言が続いた。会場からバスへの短い時間。ショックの大きさを思い、あきらめかけた時、目を泣きはらした中田は、チェコ人主審に対する冒頭の言葉を残し、バスに乗り込んだ。

 15歳で全日本に選ばれた早熟の天才は、86年に右膝じん帯断裂の大けがを負い、再起不能といわれながら、必死のリハビリでこの舞台にたどり着いた。「ソウルに一番かけていた」と振り返るほど、当時23歳にしてバレー人生の集大成として臨んでいた。それだけに怒りと悔しさが込められた言葉だった。中国との3位決定戦は、中田と全日本に戦う力は残っていなかった。1次リーグで優勝候補のソ連に勝っており、金メダルもあり得た大会。私はペルー戦が、その後、長く続く日本女子バレーの低迷への分岐点だったと思っている。

 92年バルセロナで選手としての五輪を終え、今、全日本の監督としてコートに立つ中田。「伝説の残るチームにしたい」と就任会見で高らかに宣言したが、東京五輪のメダル獲得へは厳しい戦いが続いている。だが、私は「一生忘れない」という悔しさを晴らす姿を見てみたい。(久浦 真一)

 ◆ソウル五輪の女子バレー 日本は1次リーグでソ連、韓国に勝ったが、東ドイツに敗れ、2勝1敗で準決勝へ。ペルーには、2(9―15、6―15、15―6、15―10、13―15)3で敗退。3位決定戦の中国戦はストレート負けし、日本の女子バレーでは初めて、出場した五輪でメダルなしとなった。金メダルはソ連。当時はサーブ権を持つチームがラリーを制した時のみ得点できるサイドアウト制で、1セット15点先取。日本はソウル大会の後、2012年のロンドン大会(銅)まで五輪メダルから遠ざかった。00年シドニー五輪は予選敗退で出場もできなかった。

 ◆久浦 真一(ひさうら・しんいち)1960年2月2日、佐賀・唐津市生まれ。60歳。中大卒。1984年入社。バレー、レスリングなどを取材。

報知新聞社

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