フリー62kg級以下の3種目で五輪2連覇を果たしていた日本レスリング男子。期待されたミュンヘンでひとりその使命を果たせなかった男は、祖国を飛び出す――。
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2020年五輪イヤーにあたって、Number989号から連載スタートした『オリンピック4位という人生』を特別に掲載します!
その夢はいつも忘れたころに夜の静寂を破ってやってきて、阿部巨史(きよし)を1972年のミュンヘンへと引き戻した。
「オリンピックが近づいてくる夢です。金メダルを取らなければという強迫観念が追いかけてくる。それでロードワークにいかなきゃとガバッと起きる。それで……、また忘れたころに同じ夢を見るんです」
布団を撥ね上げ、ベッドから窓を見る。外には闇に包まれたニューヨークの街が広がっている。そこでようやく自分が今、別の世界にいることを確認する。阿部は10年もの間、そうしたことを繰り返してきた。
1972年、ミュンヘン・オリンピック。西ドイツ北部ハノーファーのコンベンションセンターに阿部はいた。日本レスリング界のエースとしてマットの上に立っていた。
そして追いつめられていた。
フォール勝ちできず、まずいなと。「私は金メダルしか狙っていませんでしたが、1戦目、2戦目と思うようにフォール勝ちできず、まずいなと感じていたんです」
この時代は「バッド・マーク・システム」が採用されていた。各選手に持ち点6が与えられ、勝敗により以下の減点が課された。
●フォール勝ち=±0、負け=-4
●判定勝ち=-1、負け=-3(10ポイント以上の差がつくと各-0.5、-3.5となる)
●引き分け=-2
試合を重ねるなかで持ち点がなくなった選手から敗退となり、最終的に残った選手の中で持ち点順にメダルが決まる。
阿部は3戦目まで全勝したが、うち2つは判定勝ちで持ち点は5になっていた。想定外の減点に焦りを抱えながら、4戦目、優勝争いのライバル、ソ連のアブドゥルべコフと戦うことになった。
「相手はあまり攻めてこないタイプの選手でした。試合が膠着してお互いに審判に注意され、あのままなら失格の可能性もあった。そうしたら途中で相手が私に話しかけてきた。私は言葉がわからなかったですし、とにかく金メダルしか考えていなかったのでフォールを狙っていった。それで頭が下がったところをひっくり返されて……」
勝ちにいったことが裏目に出てポイントを奪われた。判定負けで持ち点は2。致命傷だった。金メダルは絶望的となった。
<オリンピック4位という人生(3)>ミュンヘン五輪「神からのメダル」
バレーボールニュース引用元:Number Web

