引用元:時事通信
1964年東京五輪の男子バレーボールで、日本は銅メダルを獲得した。世界選手権で60年8位、62年5位。苦境からよじ登った表彰台だが、女子の金にかき消された。
62年世界選手権では、ソ連国内を女子が空路で移動したのに男子は夜行列車。女子の荷物も運んだという。当時の松平康隆コーチは「負けてたまるか」が口癖になった。
65年、監督に就任すると金メダル8年計画をぶち上げる。大古誠司、横田忠義、森田淳悟ら大型選手に敏しょう性を植え付け、スピードとコンビ攻撃のバレーを目指す。68年メキシコ五輪で銀。
練習方法や技の開発に持ち前の創意工夫が存分に発揮されたが、松平監督の真骨頂は、大言壮語や演出で人気と注目を集め、実力と実績を追い付かせる手法にあった。
圧巻は72年春から五輪直前までテレビで放送された「ミュンヘンへの道」。アニメと実写を組み合わせ、五輪に臨む選手たちを追うドキュメンタリーで、常人なら失敗を恐れてできない企画を、松平監督が持ち込んだ。
気性の荒い男たちを率い、準決勝のブルガリア戦では絶体絶命のピンチから逆転して、公約は実現する。人気が実力をつくるとの信念は、バレー界のリーダーになっても変わらなかった。
「うそも百回言えば本当になるんだよ」と冗談めかして笑ったことがある。森田の1人時間差、大古のZ攻撃など技の誕生秘話を語っても、オーバーに聞こえたが、その言葉にはもう一つの意味がある。
金メダルとバレーブームを「本当」にしてみせたのは、負けじ魂という種火に「はったり」の油を注いで燃焼させるバイタリティーだった。

