一年一年メンバーは違い、チームも違う。だが勝ち続けた記録があれば、その優勝が連覇になり、重ねれば3連覇、4連覇となる。全日本インカレ直前の記者会見でも、まさにその質問が挙がった。「3連覇がかかる早稲田の主将としてどう臨みますか」。堀江友裕(4年、和歌山・開智)は誇らしげに言った。「何より、3連覇に挑戦できる権利を与えてくださったOBや先輩方に感謝してます」
早稲田でリベロ転向、“コソ練”に明け暮れた高校まではスパイカーでチームのエースとして活躍していたが、U19日本代表合宿でリベロも経験。早稲田入学を機に、将来を見すえて本格的にリベロへ転向した。スパイカーのころとは違う動きや役割に戸惑いながらも、1年生のときから試合に出場し、高い評価を受けていた。だが振り返ると、それは堀江にとってプレッシャーだったという。
「正直に言うと、チームとしての戦績も自分自身も、周りの評価が高すぎてしんどかったです。(日本)代表に選んでもらえるのもうれしいけど、でも『まだそんなんできないから、期待せんといて』って。でも負けず嫌いだから『ここでやったろう』と思って、毎日ただ必死で突っ走ってきました」
同学年のライバルを見れば、リベロとして優れた力をもつ選手が多く、自分を見れば足りないことばかり。ならばそのキャリアや技術の差を埋めるべく練習あるのみ、とひたすら自主練習に明け暮れた。ただし、自主練習を人には見られたくない。授業の空いた時間や、全体練習の1時間前には終わるようにと早起きして体育館に向かい、強打やサーブを何本も何本もひたすら拾い続け、感覚を体に染みこませた。
調子のよしあしはもちろんあったが、「誰よりも練習する」と決意して臨んだかいあって、2年生のシーズンは自分でも満足に近い結果を残せた。自分のやり方はこれだ。そう決意を固めた矢先、右膝に痛みが出た。
「最初は『痛いけど大丈夫や』と思ってたんです。実際、その状態で自主練習も続けてました。でもだんだん走るのもしんどくて、歩くだけでも痛くなって……。せっかく(2018年ジャカルタでの)アジア大会に選んでもらったのに、何もできなかった。迷惑をかけただけでした」
確かにアジア大会には出場機会がなく、プレーだけで評価するならば「迷惑をかけただけ」と見る人もいるかもしれない。しかしスタンドに向かって「ニッポン」コールを率先し、アウエーの会場を味方につけた。試合を重ねるうちに堀江が次々現地のファンを増やし、気づけば会場の至るところから日本へ声援が送られた。まるでホームさながらの雰囲気を作り出した立役者に、アジア大会で主将を務めた深津英臣(パナソニックパンサーズ)も「堀江の声が僕らを試合で勝たせてくれた」と、感謝の言葉を口にしたほどだった。
早稲田の主将・リベロ堀江友裕 仲間と最高の笑顔でインカレ3連覇を
引用元:4years.

