42歳で引退 大野均“伝説だらけ”のラガー人生 大学の工学部チームで競技開始…南アのファンからサイン…

引用元:中日スポーツ
42歳で引退 大野均“伝説だらけ”のラガー人生 大学の工学部チームで競技開始…南アのファンからサイン…

 ちょいと失礼とばかり、軽い気持ちで撮ってもらった写真が、半年後に、貴重な記念の一枚になった。日本ラグビー界のレジェンド、この5月に42歳となった大野均さんが、18日に一線からの引退を発表した。

 半年前の昨年11月21日、私が講師を務める専大生田キャンパスで、大学のスポーツ研究所が主催して「日本基準から世界基準へ」と題した公開シンポジウムが開かれた。日本が世界基準(世界トップと対等に戦う)に至るには何が必要かを論じる場だった。現役選手を代表してラグビー元日本代表の大野均選手、元バレーボール五輪代表で、現在はビーチバレー日本ランク1位の石島雄介選手が参加した。これは、シンポジウム終了後の一枚である。

 撮ってもらった後で、おかしくなって、幾人かにはメールで送った。「世の中、不平等でできている。右のラグビー界のレジェンド大野選手、192センチ、105キロ。左はビーチバレーの石島雄介選手、198センチ、102キロ。真ん中のジジイ、170センチ、60数キロ」。

 ロックとして相手スクラムとぶつかる気迫のすごさ、臆せず飛び込むタックル、倒れてもすぐさま起き上がるプレーが好きだった。ラガーマンなら当たり前のプレーだが、40過ぎまで、衰えることなく、変わらず続けられたタフネスには驚嘆するしかない。「ラグビーが好きです」と言い、座右の銘は「灰になっても、なお燃える」である。気は優しくて力持ち。朴訥(ぼくとつ)そのものの人である。

 シンポジウムでこう話していた。「高校(福島・清陵情報)までは野球部にいました。大学(日大工学部)に入って野球部を訪ねようとしたら、途中でラグビー部員に両脇をつかまれ、勧誘されました。名前と電話番号を書いたら、連日誘われ、一度ぐらい練習を見に行かなければ失礼かと思い、ラグビー場へ行きました。そこから僕のラグビー人生は始まりました」。秩父宮で躍動する、関東大学リーグの日大ラグビー部ではない。工学部のチームだった。ひょんなことから、18歳で始まったラガー人生だった。

 東芝に所属し、日本代表で戦ったキャップ数は98。歴代1位の称号は追随を許さない。

 大野伝説は数多い。語り尽くされた感はあるが、15年W杯イングランド大会「ブライトンの奇跡」で南アを破ると、何と 南ア国旗を持ったファンにサインを求められた人である。

 再びシンポジウムでのひと言。このW杯で指揮を執った名将エディ・ジョーンズ氏(豪州)を「鬼でした。鬼がいたから日本は強くなったのです」。このジョーンズ氏は、驚異のこの日本人ラガーマンを、生い立ちを交えて称えたことがある。「キン(均)ちゃんのようになりたかったら、酪農家で育ち、新聞配達をし、毎晩ビールを10杯飲むことだね」。

 22日に、大野均さんは引退会見を行うという。軽い気持ちで撮った写真は、貴重な一枚になった。(満薗文博、スポーツジャーナリスト)

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